■2003年10月28日火曜日

朝、メールチェックをすると、受信音がなりました。メールをくださったのは、有名な『きりえ』師さん。メールには「白石をPRするのにとっても素敵なページですね。白石出身の岩間乙二という俳人の句碑など、文学的なことにも触れてもらうとグーかしら。」と書かれてありました。岩間乙二さん、一度も名前をきいたことがありません。急に興味がわいてきて、いろいろ調べてみることにしました。

岩間乙二さんは、『松窓乙二(しょうそうおつに)』という名で知られる俳人さん。『白石市の文化財』(昭和54年・白石市教育委員会発行)によると、

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江戸文化の爛熟期化政時代に、奥州俳諧四天王の第一人者と称された俳人。乙二は谷口蕪村を慕い、深く研究し、蕪村もまた「後代の俳諧この人よりおこる」と、乙二を高く評価している。

乙二は温厚篤実な性格で、城主、片倉村典、景貞も共に乙二父子に師事。各地に門弟も多い。旅を好み、江戸や越後、東北全土はもちろん、北海道まで行脚。函館は前後7年間滞留し、「斧の柄吟社」をおこしている。蔵王不忘山麓の白石に住しているところから、「わすれず山の翁」と親しまれ、文政6年7月9日、69才で歿している。
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句碑は、下記にあります。そこに記されている句もいっしょにご紹介します。

■白石市福岡蔵本字陣場53
  鶴などは としよるものを はるの山  松窓乙二

■白石市益岡公園
  粟まくや わすれすの山 西にして  松窓乙二


歴史にくわしい立田さんにきいて、句碑があるらしい場所へ。まずは現地で撮影からと思い立ち、雨だけどおさんぽへ。どうやら福岡陣場、世良修蔵さんのお墓の近くにあるようです。 道路沿いに、石の碑がたくさんあるのでわかりやすいです。車は一台ならとめるスペースがありましたよ。
かんじんな句碑はこの上に。ちょっと登っていく勇気がなくて撮影はさきのばし。 ネットで世良さんのことを調べたのだけど、福島のほうにもお墓があるようです。お墓ってそんなにたくさんあるものなのかしら。
もうひとつ、句碑がある場所をきいたのですが迷子中。(はっきりした場所を知ったのは、このあとなのです) 赤や黄色に色づく時期も、この路は大好き。つい遠回りして、毎日ここを通ります。
かもさん発見!!
えさをもらえるのかもと期待して、近寄ってきます。
いっぱい集まってきたのですが、もらえないとわかるとバラバラとすぐにいってしまいました。ふわふわでかわいい。

そういえば、小原温泉にお泊りしたとき、ここで湯治をしながら文章を作ったり、句を作った人も多いんですよって教えていただいたんだっけ。調べてみると、白石にゆかりのある文人さんも多いようです。

これを機会に、歴史的なことや文学的なことも紹介していきたいと思っています。

リクエストがありましたらどしどしお寄せください。
わたしがおさんぽ取材に行って、紹介しますね。
あ! 俳句発見!!
これは市民の方が創作した俳句でした。いつも車で通り過ぎてしまうけれど、立て札の俳句を読みながら、ゆっくりおさんぽも楽しいだろうな。


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